公正取引委員会は2026年6月10日、令和7年度における取適法(旧・下請法)の運用状況を公表しました。法律違反として正式に是正を求める「勧告」は39件、指導は8,261件にのぼり、減額された代金などの返還額は約25.56億円に達しています。
この数字を「自社には関係ない取り締まりの話」と読むか、「決裁者として自社の取引体制を点検する合図」と読むか。本記事は後者の立場で、取適法とフリーランス・事業者間取引適正化等法(フリーランス新法)という2つの法律を、経営判断とコンプライアンス体制の観点から整理します。
お伝えしたいのは、条文の逐条解説ではありません。「自社が発注する側として、どこにリスクがあり、何を仕組みで防ぐべきか」という意思決定の軸です。
2つの法律が同時に動き出した背景
ここ2年で、企業間取引のルールが立て続けに変わりました。まず2024年11月1日にフリーランス新法が施行され、続いて2026年1月1日に旧・下請法が取適法(中小受託取引適正化法)へと改正・施行されました。
この2つは別々の法律ですが、狙いは共通しています。立場の強い発注側が、立場の弱い受注側にコストやリスクを押しつける取引を是正することです。物価高と人手不足が続くなか、コスト上昇分を一方的に下請けやフリーランスに負担させる商慣行が、賃上げの妨げになっているという問題意識が国の側にあります。
決裁者が押さえておくべきは、両法とも「発注する側」を規律する法律だという点です。自社が外部の事業者や個人に業務を委託している限り、規模の大小を問わず当事者になり得ます。「うちは発注側だから守られる立場」という発想は、ここでは通用しません。むしろ発注側こそ、義務と禁止行為を負う側です。
取適法とフリーランス新法は何が違うのか
2つの法律は対象とする取引相手が異なります。決裁者がまず区別すべきは「誰に発注したか」です。
取適法は、主に自社より資本金規模の小さい「企業(受託事業者)」への製造委託・修理委託・情報成果物作成委託などを対象とします。一方でフリーランス新法は、従業員を雇わずに個人で業務を受ける「フリーランス(特定受託事業者)」への業務委託を対象とします。
| 観点 | 取適法(旧・下請法) | フリーランス新法 |
|---|---|---|
| 施行 | 2026年1月1日(名称変更・対象拡大) | 2024年11月1日 |
| 主な取引相手 | 自社より小規模な企業 | 従業員を雇わない個人事業主 |
| 主な義務 | 発注書面の交付、支払期日の遵守 | 取引条件の書面等による明示 |
| 主な禁止行為 | 代金減額、買いたたき、返品、不当な利益提供要請 | 報酬減額、受領拒否、返品、買いたたき |
| 所管 | 公正取引委員会・中小企業庁 | 公正取引委員会・中小企業庁・厚生労働省 |
重要なのは、両法の禁止行為が驚くほど似ているという事実です。代金(報酬)の一方的な減額、理由のない返品や受領拒否、原価上昇を無視した買いたたき——相手が企業でも個人でも、やってはいけないことの本質は同じです。決裁者の頭の中では「外部に仕事を出すときの共通ルール」として一本化して捉えるのが実務的です。
令和7年度の勧告39件が映す経営インパクト
公正取引委員会が公表した令和7年度の運用状況から、決裁者が読むべき数字を整理します。
・勧告39件: 法律違反として正式に是正を命じられた件数です。
・勧告の内訳: 最も多いのが「不当な経済上の利益の提供要請」で31件。代金減額が6件、返品が6件と続きます。
・指導8,261件: 勧告に至らないものの改善を求められたケースで、軽微な不適切取引が広範に存在することを示します。
・返還約25.56億円: 177の発注事業者が、5,165の受注事業者に減額分の返還などの是正措置を行いました。
勧告の8割を占める「不当な経済上の利益の提供要請」とは、代金とは別に無償の作業やサービスを受注側に求める行為です。たとえば自動車業界では、取引終了後の金型を無償で保管させ続ける慣行が問題視され、業界団体への要請も行われました。「いつもお願いしているから」という現場の慣習が、経営の与り知らないところで法令違反になっているケースは少なくありません。
決裁者にとっての経営インパクトは、金銭的な返還リスクだけではありません。勧告は社名が公表されるため、取引上の信用とブランドへのダメージが本質的なリスクです。BtoBの世界では、コンプライアンス姿勢そのものが取引条件になりつつあります。
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決裁者が下すべき4つの判断
法律の中身を理解したうえで、決裁者が経営判断として下すべきことを4つに整理します。担当者任せにせず、経営の意思として決めるべき論点です。
第一に、自社が「発注している取引の棚卸し」を指示することです。外注先・委託先・フリーランスへの発注が、それぞれどちらの法律の対象になるかを一覧化します。これがなければ、どこにリスクがあるかも見えません。
第二に、「発注書面の標準化」を決めることです。両法とも、取引条件を書面(電子データを含む)で明示することを発注側の義務としています。品名・数量・金額・支払期日を必須項目とした発注書テンプレートを定め、口頭やあいまいなメールでの発注をやめる方針を経営として打ち出します。
第三に、「価格転嫁への向き合い方」を決めることです。原価上昇を無視した買いたたきは禁止行為です。逆に言えば、受注側からの値上げ要請に正面から向き合う姿勢が、法令対応であると同時に取引先との関係維持につながります。物価高のなか、価格交渉のテーブルにつくこと自体を経営方針として位置づける判断が問われます。
第四に、「記録の残し方」を仕組みにすることです。違反を疑われたときに「言った・言わない」で揉めないためには、発注から検収・支払までの流れを記録に残す体制が要ります。属人的なやり取りではなく、業務のデジタル化によって取引履歴が自動的に残る状態をつくることが、最も確実な防御になります。
コンプライアンス体制を「仕組み」で持つ
ここで決裁者が陥りやすいのが、「担当者に注意喚起して終わり」という対応です。研修や口頭の指示だけでは、現場の慣習はなかなか変わりません。再発防止には、人の注意力ではなく仕組みで守る発想が要ります。
具体的には、発注プロセスをデジタル化し、必須項目が埋まっていなければ発注できない仕組みにすることです。多くの中小企業がすでに導入している会計ソフトや、クラウドの文書管理ツールでも、発注書の発行と保存は十分に行えます。新たに高額なシステムを導入する必要はありません。紙とハンコの発注をデジタルに切り替えるだけで、法令対応と業務効率化が同時に進みます。
さらに踏み込むなら、取引データや契約書の確認に、情報を外に出さない社内専用AI(ローカルLLM)を組み合わせる選択肢もあります。発注条件の記載漏れや、過去の取引との不整合を下書きベースでチェックさせることで、担当者の見落としを減らせます。取引情報は機微なデータを含むため、外部のクラウドサービスに渡さず自社サーバー内AIで処理できる体制は、コンプライアンスと情報管理の両面で決裁者にとって意味があります。
大切なのは、コンプライアンスを「コスト」ではなく「取引先からの信頼を積み上げる投資」と捉え直すことです。法令を守る体制があること自体が、これからのBtoB取引では選ばれる理由になります。
取引の棚卸しを30分で始める手順
「棚卸し」と聞くと大がかりに感じるかもしれませんが、最初の一歩は経営会議の30分でも始められます。完璧を目指さず、リスクの所在を把握することが目的です。
最初にやるのは、直近1年の外部発注先をリストにすることです。経理が持つ支払データを使えば、誰にいくら払ったかはすぐに洗い出せます。そのうえで、相手が「企業」か「個人(フリーランス)」かを分け、どちらの法律の対象になりそうかを仮にあてはめます。判断に迷う取引は「要確認」として残しておけば十分です。
次に、その取引で「発注書面を交付しているか」「支払期日を明確に決めているか」「過去に減額や追加作業の無償依頼をしていないか」を、現場の担当者にヒアリングします。ここで多くの会社が、口頭やメールだけで回している取引や、慣習的な無償対応が見つかります。問題が見つかること自体は失敗ではなく、リスクを可視化できた成果です。
最後に、見つかった「要確認」の取引について、優先順位をつけて是正していきます。金額が大きい取引、継続的な取引、無償依頼が常態化している取引から手をつけるのが効率的です。すべてを一度に直そうとせず、影響の大きいものから順に潰していくのが、現場を止めない現実的な進め方です。
導入前と導入後で何が変わるか
取引体制をデジタル化し、コンプライアンスを仕組みで持つと、現場の景色はどう変わるのか。決裁者がイメージを持てるよう、典型的な変化を整理します。
| 場面 | 仕組み化する前 | 仕組み化した後 |
|---|---|---|
| 発注 | 口頭やメールで依頼、条件が記録に残らない | 必須項目を備えた発注書を都度発行・自動保存 |
| 条件変更 | 「言った・言わない」で揉めやすい | 変更履歴がデータで残り、根拠が明確 |
| 監査・調査対応 | 過去の取引を探すのに数日かかる | 取引履歴をすぐに提示でき、説明責任を果たせる |
| 担当者交代 | 取引の経緯が属人化し引き継げない | 記録が残り、誰でも経緯を追える |
この変化の本質は、「人の記憶と善意」に頼っていた取引を、「記録と仕組み」に置き換えることです。担当者が代わっても、繁忙期で注意が散漫になっても、仕組みが一定の品質を保ちます。法令対応はそのための強い動機づけになりますが、得られる効果は法令対応にとどまりません。引き継ぎコストの削減や、取引先との信頼関係の安定にもつながります。
よくある質問
Q. 当社は発注側です。どちらの法律から手をつけるべきですか。
A. まず自社が「企業に発注しているか」「個人(フリーランス)に発注しているか」を棚卸ししてください。両方あるのが一般的です。禁止行為の中身はほぼ共通なので、発注書面の標準化と支払期日の遵守という共通対策から始めるのが効率的です。
Q. 取引先から値上げを求められています。応じないと違反ですか。
A. 応じる義務が直ちにあるわけではありませんが、原価上昇を無視して相場より著しく低い金額を一方的に押しつければ「買いたたき」に該当し得ます。データに基づいて交渉のテーブルにつき、合理的な根拠で協議することが、法令対応としても取引関係としても適切です。
Q. 違反した場合のリスクはどの程度ですか。
A. まず指導や勧告という形で是正を求められます。令和7年度は約25.56億円が受注事業者に返還されました。勧告は社名が公表されるため、金銭的負担に加えて取引上の信用毀損が大きなリスクになります。
Q. 法務の専任者がいません。どう体制をつくればよいですか。
A. 専任者がいなくても、発注プロセスの標準化と記録の自動化という「仕組み」で大部分はカバーできます。必須項目を備えた発注書テンプレートと、取引履歴が残るデジタルな業務基盤を整えることが、人手をかけずにリスクを下げる現実的な一手です。
まとめ|取締役の視点で取引体制を点検する
取適法とフリーランス新法は、発注側に共通のルールを課す法律です。令和7年度は勧告39件、指導8,261件、約25.56億円の返還という運用実績が示され、発注側のコンプライアンスは経営課題として無視できない段階に入りました。
決裁者がやるべきは、担当者への注意喚起で終わらせず、発注取引の棚卸し・発注書面の標準化・価格転嫁への向き合い方・記録の仕組み化という4つを経営の意思として決めることです。そして、その仕組みを業務のデジタル化と社内専用AIの活用で支えることで、人手をかけずに継続できる体制になります。
法令対応は守りの話に見えて、実は取引先からの信頼を積み上げる攻めの投資でもあります。自社の取引体制を、取締役の視点で一度点検してみてください。
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